夏場が暑いと次に訪のう冬は極寒になるとか、
いやそれは逆さまで、
冬の寒さがあまりに厳しいと、
存外早くに春が来るというのではなかったか?
……などなどと
先の冬の終しまいからこっち、
暑い寒いが乱高下しまくりだったり、
そうかと思や、掻っ飛んだ暑さが延々と続いたり。
その余燼か、いつまでも上掛けが要らなんだり、
だってのに不意を突いての寒さが襲ったり。
春も夏も秋も、
何だか落ち着きのない日和ばかりが続いたものだから。
ならばこの冬は如何なものか、
寒うなるのか暖かいのか、雪は多いのか氷雨が多いか。
そんな話題が人々の口に上ったのからして、
急にキュッと、
肩をすぼめたくなるような冷え込む朝晩になったからだというから、
「判りやすいことだよの。」
早い目に判ってもどうなるもんでもないだろに。
ましてや、下々の民や、
はたまた貴族に添うてこまごまとした仕事をこなす雑仕でもない、
何でも人任せになっている、権門のやんごとなき身分の存在には。
暑かろうが寒かろうが、
誰かが何とでもしてくれる環境にいるだろに。
「自分で火箸一つ操ったこともない身で、何を案じておるやらだの。」
板張り床の広間の真ん中、
炭櫃(すびつ)…というよりも、
五徳も据えられ、鍋を掛けるための自在鉤も下がっている、
もはや囲炉裏級の深さ大きさとなった、
火床の端にちょこりと座して。
白い手の先で巧みに金物の箸を動かしては、
辺りへ放射する温みにムラのないよう、
赤々と燃える炭を丁寧に扱う、
神祗官補佐殿こと、お館様であり。
「お師匠様は火の加減がお上手ですものね。」
その火加減も整ったということで、
上へ遠ざけていた鉤へ、
重厚な案配に黒光りの出た鉄瓶を提げる蛭魔だったが、
「で? お前、そんな恰好で足りるのか?」
出遅れた秋が長っ尻だったせいか、
まだまだ厳冬と呼ぶほどではないとは言え。
ここのところは風がなくとも外気は冷たい。
そんなお外へ出掛けようというのに、
狩衣の下へ袷(あわせ)を重ねているだけだし、
足元も狩袴という筒裾の簡易なそれであり。
どうかすると登庁、もとえ、
宮中への参内のいで立ちとさして変わらぬ代物で。
「すっかりと葉が落ちたように見えても、
あれで裏山は結構木陰も多くて寒いかも知れぬぞ?」
くうは見栄え以上に暖かい冬毛を着ておるのだし、と。
比べる対象として蛭魔が引き合いに出した、
幼い和子様ご本人が、
「せーな、はぁくはぁく♪」
待ち切れませんと言わんばかりの急きようで。
ふわふかな毛並みの温かそうな見事なお尻尾を
お背(せな)の向こうにフリフリしつつ。
庭先へちょこちょこっと姿を現したものだから。
ありゃありゃと師弟がお顔を見合わせ、殆ど同時に破顔してから、
「大丈夫ですよ。
ひつじの毛の“すとぉる”というの、腰に巻き付けておりますので。」
南蛮渡来という格好でも、
帝への献上品がせいぜいで、
まだまだ一般へは知られてさえない舶来の代物…なのではあるが。
人の世界よりもグローバルワイドな…じゃあなくて、
次元跳躍をこなせる健脚な存在の多い邪妖の世界では、
海の向こうの文化・物品も、
知識どころか実物を、海を越えてのひょいと、
持って来れたりするのが大したもので。
蜥蜴の総帥様が蛭魔へと、
あれこれ進呈するのを見て覚えたものか。
こちらの少年に憑く武神様もまた、
足をすっぽりとくるんで暖かく、
しかもずんと動きやすい西欧の靴や、
羊の毛で織られた敷布や肩掛けなどという珍しいもの。
小さな主人への贈り物として、
不思議な手妻でひょいと融通してくれているらしく。
“あの武骨な野郎がなぁ。”
気が利くとか行き届くとか、
そういう次元の話じゃあなくての、恐らくは。
この、小さな御主にとことん力になってやりたいから。
柄に似合わぬ気遣いを、そおっと見せているところ、
くすぐったいやら微笑ましいやら。
「まあ、それなら安心か。」
それでも よしか?
あまり風に晒されるなよ?
「風邪っぴきが一人出れば、家中に蔓延しかねぬし、
そのまま冬中、
同じ厄疫をぐるぐると手渡しし続ける羽目にもなるからの。」
それが鬱陶しいだけのこと、
別段、案じているワケじゃあないとでも言いたそうな付け足しへ。
あらまあと、大きな双眸瞬かせてから、
「判りました。気をつけます。」
よい子のお返事を返した書生くん。
一礼ののち、立ち上がると、
濡れ縁へ用意していた手提げ籠を片手に、
待ち構えていた仔ギツネの和子様と連れ立って、
庭からお外へ出掛けてく。
明け方はさすがに、
息が白く曇るほども寒かったけれど。
時折まろぶように駆け出したりするよな、
弾む足取りでのお散歩、
小半時も歩んでおれば。
いいお日和が肩や背中を暖めるので、
ほかほかとして来ての、小汗をかくほどにも温かい。
「くうちゃん、あんまり急ぐと
濡れた木の葉ですべっちゃうよ……わあおっ☆」
「せぇな、だいじょーぶ?」
注意しなよといった側が転びかけるのも
もはやお約束という凸凹な二人連れが、
てことこと小春日和の中を歩いて歩いて向かった先は、
お屋敷の裏手に位置する小さな裏山。
もう少し広大な田園地帯によくある、
風避けのための“屋敷森”のようなもので。
そのまま山の尾根へ続く奥のほうは手付かずだが、
手前は人が植林した雑木林と合体しており。
それ以外にも、
薬草や祈祷に用いる榊や木の実なんぞが自生しているのでと。
折につけ、書生の彼や雑仕なんぞが、
師匠や主人である蛭魔のお務めに要るだろうそれらを取りにと、
分け入りもするため。
けもの道にも似た細い道が、あちこちにうっすらと見え隠れ。
そんな中の一つを選び、迷いもせずにとっとこと進むセナであり。
冬枯れの始まりかかっているせいだろう、
乾いた枯れ草の浅い色合いの入り混じる中、
青々とした葉と対照的な、
山茶花の鮮紅色の花へ見とれたくうちゃんが、
間を空けられてあわわと追っかけたその先、
「せぇな?」
そちらもやはり、
まだまだ緑を保った丈夫そうな葉が青々と茂ってた一角に
立ち止まっていた小さなお兄さん。
彼が見遣ってる茂みを仔ギツネさんも眺めたが、
「わあvv」
子供の拳くらいの大きさの、
でこぼこした黄色い実がいっぱいついてる茂み。
蜜柑や橙に似ているが、
濃緑の葉の合間合間から覗く柑橘の実は、
弾けるような黄色が、
辺りを明るく照らしているかのような目映さでもあって。
「せぇな、こえ、蜜柑?」
小さなお手々で指差す所作が、
たどたどしくも愛らしい、仔ギツネさん。
今まで見たことがありませんと言わんばかりの様子なのへ、
「蜜柑じゃないよ? これはね、柚子。」
「ゆじゅ?」
正確には、この時代はまだ“ゆう”と呼んでたそうですが、
皆様お馴染みの“柚子”の樹は、
中国から伝えられたのが平安時代に既に日本にもあったそうでして。
幾つも実ったその中から、え〜っとと見回し、
よくよく熟してそうなのを見定めると。
懐ろから取り出した袱紗に包まれた、黒光りのする鋏にて、
へたのところをちょんと切り、摘んでしまったセナくんであり。
「これを浮かべたお風呂に入るとね、
風邪引いたりしなくなるんだって。」
「はややぁ〜っ。」
何か不思議な力か、
それともおやかま様が使うような咒かな?とでも思ったか、
また随分と大仰に驚いたところへ、
ほら、いい匂いでしょうと差し出され、小さなお鼻を近づけた坊や。
「〜〜〜? ???」
いい匂いかなぁ、
桃の実や、はたまたやお餅やお饅頭みたいな、
甘い匂いはしないけどなぁと。
怪訝そうなお顔になるところはなかなかに正直で。
そうだよね、
ボクも小さいころはあんまり好きな匂いじゃなかったしと、
くうちゃんに負けぬ、まだまだふわふかな頬を、
微笑にほころばせる小さなお兄さんだったりし。
「今日は“冬至”という日だからね。」
「とーじ?」
「そお。昼の間が一番短いの。」
だからあのね? 体をよ〜く温めとかないと、
陽があっと言う間に落ちて夜が長くてしかも寒くて。
そんな夜中には疫神っていうのとか、いっぱいぱい居るからね…と。
途中からは、陰陽師ならではな解説となってのお話へ、
「はや…。」
そりは怖いと、小さな仔ギツネさんもまた、
素直に受け止め、ふるると震えて見せる。
「だからね、これのお風呂に入ってぽかぽかになって、
そういうのが寄って来ないようにってするんだよ?」
「しゅごい〜〜。」
モミジみたいなお手々を合わせ、
パチパチと叩いてみせる小さな おとうと弟子へ、
ちょっと照れつつも“判ればよろしい”と頷いたセナくん。
「さあ、この籠に摘んでしまおうね?」
「うんっ。」
空っぽのまま提げて来た竹細工の籠を足元へ置き、
セナくんが摘んでは手渡す実を、
くうちゃんがいかにも大切なもののように そおと入れ。
それを何度も繰り返すうち、
4つ5つほどある茂みからの収穫は、
半分も採り切らぬうちから籠に一杯となったほど。
「さあ、これでもう十分だ。」
「うんっ。」
おふよ、くうも入いゆの?
そうだよ? 一緒に入ってヌクヌクになろうね?
舌っ足らずな言いようをちゃんと聞き分けられるお兄さんへ、
嬉しそうにしがみつき、うふふぅvvと微笑った小さな坊や。
可愛いなぁ、いい子だしなぁと、
こちらもとろけそうにまろやかなお顔になって、
くふふvvと微笑ったセナくんへ、
《 主(あるじ)よ。》
どこからともなく声がして、
え?と見回したどこからともなく、
ふわんと、舞い降りてきたのが、
羽衣かと思えたほどにふんわり軽やかな、
なのに肌に触れると優しく暖かな
「あ、新しい“しょおる”ですね。」
「ちゅきがみ、あっち。」
布には関心がなかったか、それよりもとお友達の影を差し。
あっちと小さなお手々で指差したくうちゃんなのへ、
「くうちゃんには見えるの?」
「うっ。」
こっくり頷く屈託のない坊やには、油断してか存在を悟られた武神様、
今年の冬至は、主人のセナくんが生まれた日でもあること、
ちゃんと覚えておいでだったようで。
“…………あ、そっか。/////////”
肝心なセナくんが、それを思い出して贈り物の理由を悟るのは、
もう少し刻が経ってからだったそうですが。
どうかどうか、
あなたの笑顔と同じよに、暖かに冬をお過ごしくださいね?
〜Fine〜 10.12.19.
*千両って緑のポインセチアみたい。
…じゃあなくて。
微妙に早い目ですが、セナくんハッピーバースデイということで。
余談ですが、これ書いてる今日は“甲子園ボウル”当日です。
(余談って…。)
*ところで、
冬至に柚子湯という取り合わせ、
平安時代にはもうあったのかなという方向で調べたのですが、
結果としては、冬至と限定してたかどうかは曖昧ながら、
あの独特の清冽な匂いや殺菌作用があることから、
邪を払い、病を寄せぬという効用を謡われて、
このくらいの寒い時期に
柚子のお風呂へ入るようにしようって習慣は、
古来からあったそうです。
ただ、それが“冬至”の習慣と確定したのは、
江戸時代まで時代を経てから。
町の銭湯が“冬至”と“湯治”をかけて、(ととのいました・笑)
“そういう日だよ、だから風呂へ入りに来な”という宣伝を打ったそうで、
端午の節句に菖蒲湯に入る習慣も、同じ運びなんですて。
土用の丑の日にウナギを食べるようなもんですね。(…ちょっと違うか?)
冬至という日は昼間が短いことから、
“一陽来復(いちようらいふく)”という
お日様が生まれ変わる日とされていて。
そういう日なので
身を清める“禊(みそぎ)”をしようという流れもあってのこと、
邪を祓う柚子のお風呂に入ろうと繋がったのでは?というのが、
有力なところということでしょか?
「それはそれとして、
キツネってのは柚子や柑橘は平気なのか?」
「さあ…。でも、くうちゃんは蜜柑大好きですし。」
「うっvv しゅきvv
あぎょんがネ? いっぱいぱい くれゆのvv」
「ふぅ〜ん。」←あ
めーるふぉーむvv 

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